3日

ブログはじめても3日坊主な人が多いって話。
ぼくはどうなんでしょうか。ここが純粋なブログ場とは思えないし。
間が微妙だし。アンテナはいつも使っているけど。


ジャック・ケッチャムの「隣の家の少女」という小説を読みました。
主人公の隣の家に女の子が越してきて、その家の女の人に虐待される、というお話です。


…やな話だな?そうです。しかも救いがありません。
主人公である少年は何するかというと虐待される少女をただ眺めてるだけです。
主人公が川でザリガニ取りしていると年上の美人お姉さん(その子が虐待される)に話し掛けられてどぎまぎして、彼女がすぐ隣に来て鮮やかにザリガニを取る初対面のシーンや、その少年が近所の少年と遊ぶ様とかが「古きよきアメリカ」な風情で描かれていた、
と思ったら次第に不穏な雲行きになってきて、どんどん天候は荒れてきて最後ちょっと光が見えるけど、すぐ真っ暗闇になってしまっておしまいになる。
これ読んでいつかの女子高生がコンクリート詰めで見つかった事件を思い出しました。
というかぼくがインターネット始めたころ、その事件が新聞やTVで報道されていたよりも遥かにひどい事件だということを知ったことで、ネットの恐ろしさとありがたさを同時に感じたという過去があり、さらに最近その事件のことが書いてあるサイトで少女が死に至るまでの経緯を母親が警察から聞いて、そのせいで精神病院に通うことになった、なんて記述を読んでとにかく猛烈にいやな感じがして印象に残ってます。
おまけもあって、主犯格だった何人かがすでに社会に出ていて、そのうちの一人は家庭を持っている事です。奥さんもいて子供もいる。信じられない。
彼ら(なんて人間扱いしたくないけど)は未成年だからといって、名前も顔写真も公開されていない。すばらしい人権社会です。これが一番怖い。


ええっとなんだっけ。「隣の家の少女」でしたね。
まあ主人公は読者に感情移入しやすいよう善人面してますが、止めません。
さっきも書いたように眺めてるだけです。
ではその場に自分がいたらどうかと思うとやっぱりとめられないのかなと思います。
なんか言ってる事がおかしいですね。でもそうおもいます。主人公の描写を見ていると、やっぱりそう思います。そしてもう引き返せない、引き戻せないという段になってやっと行動して、やっぱりダメだったと、主人公と同じことをやると思う。


さっきのコンクリ詰めの事件もそんな人がたくさんいたことだと思う。
なんでもその少女の存在を知っていたのは100人以上いた、なんて話もあるぐらいだから。監禁されていたのは主犯の自宅(もちろん両親が居る!)だった、というのもすごいホラーだけど。


そんなたくさんの負の感情が起こってしまうけど、ケッチャムのほかの小説も読みたいなと思います。なぜ?こんなにいやな感じがする小説は初めてだからです。
貴重ですよ。だからこの人に敬意を表して読まねば、と思うのです。
あとこの話実話から着想を得たそうです。


なんというんだろう。人間の心に興味があります。
人間の心はとても繊細なんだけど、ものすごく壊れにくく出来ている。
繊細というのは少しの刺激でいろいろな形に変わってしまうことを指します。
げらげら笑っていても、気に障ることをいわれると一瞬で笑いは無くなったり、
多少不機嫌であってもすきな食べ物が目の前に出てくるとにやりとしてしまう、
そういった心の動きは本当に繊細で、他人の心はもちろん自分の心も正直にいうと良く判りません。
でも人の心が壊れるのはなかなかありません。
自分の例ばかりですが、これはヤバイな、と思ったことが何度かあります。
主に仕事の上でですけど。でも壊れないんですね。
あと昔虐待をうけてた人の本を読んでも、良くそこまで耐えられたなとか思うことがあります。
ああだめだ。話が長すぎる。風呂にもはいりたいので明日にします。


そうそう、昨日久々に友達と会って話しました。
いままで自殺衝動と戦って(と書くと大げさに見えるけどほんとうにそんな感じでした)いましたが、それが軽く吹き飛びました。
いいもんですね。楽しかったです。あとビリヤード。
すごい奥深くてなかなか熱いスポーツだと思いました。
昔から継がれているものには何かしら理由がある、というのはどのくらい前からか忘れましたが思っていることです。
ビリヤードにもそれを感じることが出来ました。
あと麻雀や歌舞伎、能や浪曲、そういったものも面白いなと思います。
そもそも小説や音楽も昔から受け継がれているものですね。
いらないものも多いけど、伝統も大切にしたいです。